神田神社御由緒(説明板)

内容的には他のぺじ内容と少し重なる部分がありますが、神田神社の入り口の随神門の脇にある説明板を読みやすく書き写していきますので、ご利用ください。

江戸総鎮守 神田明神 (えどそうちんじゅ かんだみょうじん)

20080111tokyo_jussha096kanda_myoujin.JPG 東京十社 神田神社の説明板 御祭神(ごさいじん)

一の宮 大己貴命
      おおなむちのみこと(だいこく様)
二の宮 少彦名命
      すくなひこなのみこと(えびす様)
三の宮 平将門命
      たいらのまさかどのみこと(まさかど様)


正式名称・神田神社。 東京都心108町会の総氏神様で、神田・日本橋・秋葉原・大手丸の内、そして東京の食を支える市場の発祥地の氏神様として、青果市場、魚市場の人々からもあつく崇敬(すうけい)されております。縁結び、商売繁昌、社運隆昌(しゃうんりゅうしょう)、除災厄除(じょさいやくじょ)、病気平癒(びょうきへいゆ)など数多くのご神徳をお持ちの神々です。

当社は、天平(てんぴょう)二年(730年)のご創建で、江戸東京の中でも最も歴史のある神社のひとつです。はじめは現在の千代田区大手町・將門塚(まさかどずか)周辺に鎮座(ちんざ)していましたが、徳川家康公が江戸に幕府を開き江戸城が拡張された時、江戸城から表鬼門にあたる現在の地へ遷座(せんざ)いたしました。

それ以降、江戸城を通じて「江戸総鎮守」として幕府から江戸庶民にいたるまで多くの人々の崇敬(すうけい)をうけました。さらに明治に入り、准勅祭社・東京府社に列格し皇居・東京の守護神と仰がれ、明治天皇も親しくご参拝になられました。

20080111tokyo_jussha109kanda_myoujin.JPG 東京十社 神田神社 全体図境内には、日本初の本格的な鉄骨鉄筋コンクリート・総漆朱塗造の御社殿(国指定登録文化財)や、総檜造の随神門(ずいしんもん)、神札授与所・参拝者待合室・休憩所を兼ねた鳳凰殿(ほうおうでん)、明神会館・資料館・石造日本一の大きさを誇るだいこく様尊像・えびす様尊像・江戸国学発祥の地碑・銭形平次の碑などがございます。縁結びのご神徳から神前結婚式も多く行われております。


当社の祭礼・神田祭は二年に一度執り行われ、江戸時代には江戸城内に入り徳川将軍が上覧したため、御用祭とも天下祭とも呼ばれました。また日本三大祭、江戸三大祭のひとつにも数えられております。現在は鳳輩・神輿(みこし)をはじめとする江戸時代さながらの祭礼行列が、神田・日本橋・秋葉原・大手丸の内の広大な氏子108町会を巡行する「神幸祭」と、氏子の町神輿約200基が街を練り歩き、神社へ迫力ある宮入をする「神輿宮入」を中心に賑やかに行われております。

                                 神田神社社務所

20080111tokyo_jussha097kanda_myoujin.JPG 東京十社 神田神社 随神門
                    神田神社(神田明神) 随神門と説明板

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