神田神社(神田明神)

神田神社は天平2年(730)に出雲氏族で大己貴命(おおなむちのみこと)の子孫・真神田臣(まかんだおみ)により武蔵国豊島郡芝崎村(現在の東京都千代田区大手町・将門塚周辺)に創建されました。

 20080111tokyo_jussha094kanda_myoujin.JPG 東京十社 神田神社(神田明神)

その後、承平5年(935年)に敗死した平将門(たいらのまさかど)の首が京から持ち去られて当社の近くに葬られ、将門の首塚は東国の平氏武将の崇敬(すうけい)を受けました。嘉元(かげん)年間(1303年 - 1306年)に疫病が流行し、これが将門の祟りであるとして供養が行われ、時宗の遊行僧・真教上人が手厚く御霊をお慰めして、さらに延慶(えんきょう)2年(1309)神田神社に奉祀(ほうし)いたしました。

戦国時代になると、太田道灌や北条氏綱といった名立たる武将によって手厚く崇敬されました。
慶長5年(1600)、天下分け目の関ヶ原の戦いが起こると、神田神社では徳川家康公が合戦に臨む際、戦勝のご祈祷を行ないました。
すると、9月15日、神田祭の日に見事に勝利し天下統一を果たされました。これ以降、徳川将軍家より縁起の良い祭礼として絶やすことなく執り行うよう命ぜられました。

江戸時代、江戸城増築に伴い現在地に遷座(せんざ)しました。江戸城の鬼門除け、江戸総鎮守として尊崇(そんすう)され、神田祭の山車(当時は山車が中心だったが、明治に入ると電線の普及等により山車の数は大幅に減少した)は将軍上覧のために江戸城中に入ったので、一名「天下祭」とも言われ、江戸三大祭りの一つと言われています。

現在「神田囃子(はやし)」は無形文化財に指定されています。江戸初期に豪華な桃山風社殿が造営されましたが、1923年の関東大震災で焼失しました。その後再建され、1945年の東京大空襲では本殿・拝殿などは焼失を免れました。

明治元年、准勅祭社に指定されましたが、明治7年、明治天皇が行幸(こうぎょう)するにあたって、天皇が参拝する神社に逆臣である平将門が祀られているのはあるまじきこととされて、平将門は祭神から外され、代わりに少彦名命(すくなひこなのみこと)が大洗磯前神社から勧請(かんじょう)されました。平将門神霊は境内摂社に遷されたが、戦後昭和59年(1984年)になって本社祭神に復帰しました。

また、野村胡堂の代表作「銭形平次捕物控」の主人公・銭形平次が当神田明神下の長屋に住居を構えていたという設定から、敷地内に銭形平次の碑がある。(銭形平次自体は架空の人物)

御祭神

大己貴命(おおなむちのみこと)     :だいこく様
少彦名命(すくなひこなのみこと)    :えびす様
平将門命(たいらのまさかどのみこと) :まさかど様

 

所在地 〒101-0021 千代田区外神田2-16-2
TEL 03-3254-0753
FAX 03-3255-8875


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