日枝神社(山王さま)
日枝神社
江戸山王の始原は古く、鎌倉初期秩父重継が江戸貫主を名乗り、館に山王社を勧請(かんじょう)し、文明十年(1478)太田道灌が川越山王社を勧請し、城内鎮守神と尊崇(そんすう)し江戸の町の繁栄の礎を築きました。
さらに徳川家康江戸入府に際し将軍家の産土神を崇め、社殿を造営し、神領を寄進(六百石)、その祭礼・山王祭は、天下祭、御用祭とも称され、日本三大祭りの一つとされました。
明治元年(1868年)11月の東京奠都の際に准勅祭社に指定され、その後、皇城鎮護の神社とされて大正元年(1912年)には官幣大社に昇格しました。昭和20年(1945年)の東京大空襲で社殿が焼失しましたが、昭和33年(1958年)に再建されました。
「山王鳥居」は鳥居の笠木の部分の上端に合掌のように破風を付したもので、合掌鳥居ともいわれています。 「山王鳥居」は、大山咋神を祀ったお社に用いられる特徴的な鳥居であり、日枝神社や日吉大社などに見ることができます。
日枝神社のご祭神
「古事記」に
『大山咋神(おほやまくひのかみ)又の名は山末之大主神(やますゑのおほぬしのかみ)。この神は近淡海国(ちかつあふみのくに)の日枝山(ひえのやま)に坐(ま)す。また葛野(かづぬ)の松尾(まつのを)に坐(ます)す鳴鏑(なりかぶら)に成りませる神なり』
とあるように、近江国(今の滋賀県)の日枝山(比叡山)に鎮まりましたのが最初で大年神(おほとしのかみ)の御子神で、別にその御名を山末之大主神とたたえておりますように、大山咋神が日枝神社のご祭神です。
主祭神の神系
須佐之男神(すさのをのかみ)
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--大神年(おほとしのかみ)
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--大国御魂神(おほくにみたまのかみ)
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--御年神(みとしのかみ)
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--大山咋神(おほやまくひのかみ)--別雷神(わけいかづちのかみ)
大山咋神の「咋」は「主」という意味で、大山の主であると共に広く地主神として崇められ、山・水を司り、大地を支配し万物の成長発展・産業万般の生成化育を守護し給う御神徳は広大無辺であります。又、近年は厄除け・安産・縁結び、また商売繁盛・社運隆昌の神として崇敬(すうけい)されています。
日枝神社の神のお使いは「お猿さん」です
日枝神社の神の使いは古来より、猿(申)といわれ、神門及び向拝下に夫婦猿の像が安置されています。
主神が現れる前に先立って現れ、主神の兆しとして見ます。大山咋神は、山を守る神であり、この猿と比叡の山の神としての信仰とが結びついて山王の神の使い「御神猿」として信仰されるようになりました。
猿は古くから魔が去る「まさる」と呼ばれ、厄除・魔除の信仰を受け又農業の守護神とする信仰が強く、俗に「さるまさる」といわれ、繁殖の獣として人々に愛され、犬と共に分娩の軽き 安産の神として信仰されています。
猿は集団生活をして、特に子供への愛情が強く、母猿はどの子猿にも乳を与えるという性質があるといわれ、その姿が日枝神社の神猿像に表されており、夫婦円満・安産・家門繁栄の徳を称え安産・子育・厄除のお守りとして参拝者に神猿(まさる)の守土鈴、他に縁(猿)結びのお守りが授与されています。
日枝神社の門の左右に夫婦猿の像があり、右が母猿で子供を抱いている。
本殿前の両サイドには、通常こま犬がいるところですが、日枝神社ではお猿さんです。