亀戸天神社(亀戸天満宮)

学問の神・菅原道真公

 菅原氏は、古代豪族の土師(はじ)氏の出身で、道真公の曾祖父古人公が、土師を菅原と改姓するとともに、文道をもって朝廷に仕える家柄となったのです。
時代は、嵯峨天皇(さがてんのう)の時代を頂点として、「文章経国」すなわち学問を盛んにして国をつくるという方針のもと、唐風の文化の最盛期を迎えていました。

 道真公は清公(きよきみ)公、是善(これよし)公と続く文章博士(もんじょうはかせ)の家系に生まれました。母は、少納言伴(大伴)氏の出身です。

20080118tokyo_jussha012kaido_tenjin.jpg 東京十社 亀戸天神社 5歳の藤原道真公

写真にありますように、わずか5歳で和歌を詠み、周りを驚かせました。
「美しや 紅の色なる 梅の花 あこが顔にも つけたくぞある」
和歌にある「あこ」とは自分のことで、菅公は幼名を阿呼(あこ)といわれてました。

10歳を過ぎて漢詩を創作し、神童と称されました。18歳で文章生、23歳で文章得業生、26歳でついに方略式に合格し、30歳の頃、島田宣来子を妻に迎え、33歳で式部少輔、文章博士となり、学者としては最高の栄進を続けました。



「鷽(うそ)」替え神事(1月24日、25日)

文政三年(1820)、九州の太宰府天満宮にならって初めて行われ、今に続く亀戸天神社第一の特殊神事です。

「神前に於て互にとりかへて其の年の吉兆を招くことになん、是や今迄のあしきもうそとなり吉に鳥かへんとの心にてうそかへといふ(中略)信心の人々かひ求めて神前にあると鳥かへなば、かけまくも賢き神の御心にもかなひ開運出世幸運を得べきになり」と伝えています。

「鷽(うそ)」とは、幸運を招く鳥とされ、毎年新しい「鷽(うそ)」に替えると、これまでの悪いことが”うそ”のようになり、一年の吉兆を招き開運・出世・幸運を得ることができると信仰されてきました。

20080118tokyo_jussha015kaido_tenjin.jpg 亀戸天神社 鷽替え神事



亀戸天神社

正保年間(1644~1647)、菅原道真の末裔(まつえい)であった九州の太宰府天満宮の神官、菅原大鳥居信祐は、天神信仰を広めるため社殿建立の志をもち、諸国を巡りました。

そして寛文(かんぶん)元年(1661)、江戸の本所亀戸村にたどり着き、元々あった天神の小祠(しょうし)に道真ゆかりの飛梅(とびうめ)で彫った天神像を奉祀(ほうし)したのが始まりとされています。

20080118tokyo_jussha006kaido_tenjin.jpg 東京十社 亀戸天神