富岡八幡宮(深川八幡)
深川不動堂(深川不動尊)
富岡八幡宮のすぐそばに、「深川不動堂」があります。
正式名称は「成田山 東京別院 深川不動堂」と言い、成田山新勝寺の東京別院となります。 通称は「深川不動尊」と呼ばれています。
江戸時代のはじめ、歌舞伎役者の市川團十郎が不動明王が登場する芝居を打ったことなどにより、成田山の不動明王を拝観したいという気運が江戸っ子たちのあいだで高まりました。
これを受けて、元禄16年(1703年)、1回目の成田不動の「出開帳」が富岡八幡宮の別当・永代寺で開かれました。これが深川不動堂の始まりなのです。
下町名物 「深川めし」
「深川めし」とは、江戸時代から漁師の食事として親しまれてきた食事で、あさりの味噌汁を温かいご飯にかけたもので、簡単でおいしいものでした。
その下町名物「深川めし」が進化して、「深川あさり蒸籠めし」となってあらわれました。
とりたての新鮮なあさりの風味を逃がさず、あさり汁と昆布だしで炊きこんだご飯の上に、ふっくらとしたあさりの感触をそのままにいただける「深川あさり蒸籠めし」は、とても美味しかったので、ご紹介します。
場所は、深川不動堂のすぐ前で、富岡八幡宮もすぐそばですので、お参りの帰りの一休みにはうってつけと思います。「門前茶屋」と言うお店で、すぐにわかります。
相撲発祥の地・横綱と大関力士の碑
横綱力士碑
富岡八幡宮は江戸勧進相撲発祥の地として有名で、貞享元年(1684)幕府より春と秋の2場所の勧進相撲が許され、富岡八幡宮の境内で行われたのです。以降約100年間にわたって本場所が境内にておこなわれ、その間に定期興行制や番付制が確立されました。
深川八幡祭りと日本一の黄金大神輿
富岡八幡宮
寛永4年(1627年)、当時永代島と呼ばれていた現在地に創建されました。周辺の砂州一帯を埋め立て、社地と氏子の居住地を開き、総じて60,508坪の社有地を得、源氏の氏神である八幡大神を尊崇した徳川将軍家の手厚い保護を受けました。また町民層にも、深川、新川、箱崎の氏子をはじめ、広く人々の崇敬を集めている江戸最大の八幡さまで「深川の八幡様」と親しまれています。